E.P.B

エブリデイピーナッツバター

「嫌いなヤツ」は「好きなヤツ」と同じくらい有益かもしれない。

人は誰しも「嫌いな人間」「苦手な人間」がいるはずだ。

「私、俺、そんな人いないよ~」とか抜かす人間のフリをした何かは今すぐ僕が人間に戻してやる。僕の交友関係の中の苦手な人間の悪手全てを拳に乗せてぶち込んでやる。ほら来いよ。

 

というのは冗談として

 

(僕だって好き好んで嫌いになられたい訳じゃない)

誰にでもいる「嫌いな人間」意外と、「僕」の「あなた」の生活に役立つのではないか、と。

  好きと嫌いのボーダーラインがあって何をもって嫌いのラインを超えるかはきっと人それぞれだろう。ある人にとっての「そんなことで?」がある人にとっては「とんでもない苦痛」かもしれない。

ちなみに僕は「何が食いたい?」「どこに行きたい?」に対し、一言目を考えることすらせず「なんでもいい」「どこでもいい」と発する人間が嫌いだ。悲しいが結構いる。「なんでもいい」と言いつつ「じゃあ肉食おうぜ」と言うと、「今は肉じゃねえな」とか言われると「もうコイツ殺して家に帰ろうかな」ってなる。

「何がいい?」に対し「なんでもいい」なら付け加えろ。

「なんでもいいな、そっちは何がいい?」と。「なんでもよくない」なら考えろ。自分と対話しろ。自分との対話を自分以外に投げるな。

 僕はしょっちゅう腹を立てている。終わっているのは自覚しているが、どうすればいい。ゲーテが「滅多なことに腹を立てるべきではない」と言っているがそんなの知るかだ。最近は腹を立てないために人と会わないようになった。本を読む。楽器を弾く。楽しい。僕は生活から「人」を排除すればQOLがバカ上がりするタイプの人間だったようだ。

 だからというのもあるが、人に聞かれた時は大雑把ではあるが答えるようにしている。「肉が食いたい」「魚が食いたい」「ガッツリ食いたい」「あっさり食いたい」相手が乗ればその方針で動く。こういうのは決めた人間が一番偉いと思っている。「選択」を丸投げした人間に不満を言う資格は無い。だったらお前が決めれば良かったとちゃうんか、と思いますね。てか言うよね。どこに行きたいも同様だ。瞬時に自分の脳をかき回し行ってみたかった場所をリストアップし提案する。この「どこに行きたい?」捉えようによっては儲けものだ。例え行った先がクソつまらなかったとしてもクソつまらないことを知れる。楽しければラッキー。どっちに転んでも決めた側にはメリットしかない。「どこでもいい」と真剣に考えもせず言い放つ人間に人権は皆無だ。「お前のせいで時間無駄になった」とか言われたら刺殺してやろう。大丈夫。絞殺でもいい。

ところで今日の文面アドセンス的に大丈夫でしょうか。まあいいか。

 

 否定されれば相手に合わせればいいし、何の問題も無い。人間関係なんか押すか引くかだ。相手が引くなら押せばいい。押してくるなら引けばいい。(恋愛のテクニックとかのそういう「押す」「引く」ではなく、もっと大雑把な軽い感じだと思って欲しい)

 

 結局のところ、人と関わり自分の「嫌い」という感情の原因を知ることで、「自分が嫌だと思ったことは人にしない」ということがようやく可能になる。または自分のしていたことはここまで人を不快にさせていたのかと気づくことが出来る。嫌いな人間との関わりは「自己の改善」につながる。良き人との出会いが自分の成長につながるのと同じだ。人の悪いところも良いところも自分に取り込み、悪いことはしない、良いところはマネする。

 ダメな人間とは関わるなとよく言うが分析対象としては良い勉強になる。何がダメなのか。自分にも類似した点が無いか。あるならば自分の問題点を直すことが出来る。一朝一夕とはいかないが気づけただけ収穫だろう。かといって深入りは厳禁だ。金銭的に肉体的に精神的に損をすることは避けられないから。有益であろうと自分の嫌いな人間だ。節度を保って危害の及ばない範囲で冷静に観測するのが最善手だ。

 

 逆に「コイツうぜえな」が臨界点に達した相手にはこれまで蓄積した「嫌い行動」をぶつけることで相手から距離をとってもらうことも出来る。裏技的使い方であるし滅多にここまでなることはそうそうないが、本当に腹が立ってコイツと縁を切りたいがこの感情の苛立ちを全てぶつけて終わりにしたい、と思ったときだけ使える。人間が出来ている人は冷静に縁を切るのだろう。僕は出来ていない故これまでに二回ほど使ってやった。「これ言われたら嫌だろうな」を相手にぶつける快感にはすさまじいものがある。

 

それでは。