E.P.B

エブリデイピーナッツバター

僕は今が最高だと言い切れる

他人の事はわからないから比較することは出来ないのだが、僕は自身の存在や内面について考える時間が多いと思う。

 

 僕はよく自分の事を考える。過去の自分の上に今の自分が立っているし、過去の間違いや傷つけた人間の事を今思い返しても何の意味もないためそういうことは考えない。というか考えすぎて考えつくしてしまった。過去について考えることはもうない。ならばこれからどうするのか。僕は未来の事を考える。未来の僕の為に今の僕はどうあるべきかを考え続けている。

今から書くのは僕が考えて行きついた思考の整理だ。

 

 

 

 社会にでて思ったのはやっぱ大卒、大卒及ばずとも専卒は強いなぁ、と。

やっぱ人生選択の幅が桁違いだ。勉強って偉大だ。数Ⅰも物理も社会生活に必要な勉学だった。

 僕が進学しなかった理由はまず第一に家庭の事情がある。母子家庭の僕が進学するのはいささか申し訳なかった。母親に今以上の苦労を強いるのは腰が引けた。

と建前ではそう言っているが、可能性が低くても勉強を頑張って結果を出して死ぬ気でやれば余裕とはいかなくとも苦労しない程度で進学することも可能だったかもしれない。(これは学力的な意味より費用的な意味合いが強い)

 僕はこの「家庭の事情」という建前を利用して嫌いな勉強を放棄した。他にも「僕が大学行くぐらいなら、優秀な妹に進学させてあげたい」「どうせ進学しても僕みたいな人間は高校の延長戦みたいな生活をするのが関の山だろう」などと色々な理由を作りあげ、進学を放棄し、進学に付随する「勉強」から逃げた。楽だった。ただこの「楽」は未来からの「楽」の前借だった。今がキツイのは過去の僕の努力不足だ。受け入れる。

あとキツイっちゃキツイけどそこまで悪くない。自分の稼いだ金で生活するのは大変に気分が良いものだ。(と思って今のところ生活できているがこれはただの「諦め」だ)それにもっともっと家庭が貧困で苦労している僕と同世代の人たちは世界にたくさん居るし、世界と言わずに日本にも無数と存在している。今日の晩御飯に困らず、安心して寝れる家があり、毎日シャワーを浴び、週末の予定を考えることさえ出来る。ローンではあるが車まで買えた。そうだ。僕は十分過ぎるほど恵まれている。

 

 しかし進学した友達を見るとあんなに頑張って勉強して、お金も払って。なのにどうしてお前が得るのはその程度なのかと思ってしまう。もし自分が同じ状況であれば多分その友達と似たり寄ったりの生活を送っていたに違いないのに。それに社会に出た僕だって成長したのかどうかはわからない。どちらが上とかそういう話をしたい訳でもない。それでも、僕が出来なかった努力を3年間も続けてきた素晴らしい功績の上に立つ現在が「それなの?」となってしまう。なんで?どうして?がグルグルと渦を巻き行きついた先は「(例え友人であれ)他人のことなどどうでもいい」だった。

 

 自分以外に興味がなくなってしまった。しまったと書いたが別に後悔しているわけじゃない。生活は一段と楽になった。何かあっても「だからどうした」で片が付くようになった。昔から過去の事でウジウジしていた僕にとっては革命だ。僕は今の自分が好きだ。それなのに過去の自分を知る人に会うと過去の自分が顔を出す。その時の自分が大嫌いだ。だから僕は実家に帰りたく無いんだろう。友人と会うことに気が進まないのだろう。新たな環境で手に入れたこの場所での自分の事を僕は愛してやまない。

 

 ここまで書いてアレなのだがこれは全部「すっぱいブドウ」なのだ。会えない友人。できなかった大学生活。一緒に居たかった人。偉そうに語っても結局あれもこれも全てに「すっぱいブドウ」と答えをつけ放棄しただけだ。だけどそれの何が悪い。手に入らなかったものをけなげに羨むよりもこちらのほうがずっと楽だろう。大事なのはこれからの僕だ。僕は結婚とか恋人とかそういうのに対し「自分以外の大事な存在など邪魔だろうに」と。旧来の友人に対し「悩みや苦しみを打ち明け、ないしは一緒に騒ぎ遊んだところで一切の問題の解決にはならんだろう、なぜなら状況が僕とお前らでは違うのだから」と。ここには収まらないこの世に溢れる様々な全てをこうして「すっぱいブドウ」だとして、僕は心の平穏を保つ。そうだ、コレは「逃げ」だ。自分の置かれた現状に満足してないけどそれを改善するほどの努力はしない。僕の根本は昔から「逃げ」だった。昔は無意識だったが今、完全に、ようやく理解した。逃げる自分を完璧に掌握したうえで逃げる。自身を理解した今の僕は僕至上最高の状態であると言い切る。これは強がりでも虚勢でもなくまっさらな僕の本心だ。書き損じた紙はぐしゃぐしゃにまとめてゴミにすればいい。